穂の香について
両親が栽培したお米で商品を作ってみたい。
私が次に目指すものは、商品づくりです。
こだわって育てたお米ももちろん、加工して他にはないものを作ってみたいと思ってきました。
最初に作ったのは、焼き米を使ったグラノーラ。
お米をオートミール代わりにして作ったもので、そこからポン菓子の商品も生まれました。
キャラメルフレーバーのポン菓子は一般のものとは違い、材料も厳選し、乳製品も使わず、ナッツも加えて満足感を出したので、
どんどん原価が上がり、結果ひそかに高級ポン菓子になりました。
それでも私の店の看板商品になり、私も商品を作ることに自信を持つことが出来ました。
“穂の香”という名前は、父のお米の販売に携わり始めた頃、
このお米でケーキを焼いてもらったお店があり、
その時に「いつか私も、このお米で商品を作りたい」と思ったところから生まれました。
嬉野のお米で作る「うれしの穂の香」です。
出会い

マルシェに出始めたのは10年ほど前の2016年。
最初はお米や雑穀などの販売をしていました。
商品を手に取ってもらいやすいように、お米をお菓子にしようと、 自宅に工房を作り、慣れないお菓子づくりに励んでいました。
料理が得意なわけでもなく、お菓子作りの記憶もほぼない私が、本を買っては試作して、何度も失敗してきました。
まず最初に、お菓子を始めるきっかけをくれた方に出会いました。
その方がオリジナルでいろんな試作をしてくれて、お米グラノーラが生まれました。
その方からマクロビオティックも教わり、スクールで玄米食や自然のお手当も学ぶようになりました。
私の食の拘りが出てきたのはこの頃からになります。 今では考えられないほど偏った食事をしてきたので、食事療法に出会えたことは私の財産です。
その後、基礎を学んだほうがいいという別の方に出会い、 その方のおかげで製菓専門学校に通い、製菓衛生士の資格まで取ることが出来ました。
自分の人生では絶対に縁がないと思っていた資格です。
ベースはフランス菓子でしたが、こお菓子の知識がない私にはすべてが新鮮でした。 ここでの経験があいにく今のお菓子に直接つながっているわけではないけれど、 基礎としては十分すぎる経験でした。
マルシェ

お菓子を作ると、京都や大阪を中心として毎週のようにマルシェへ出店していました。
キャラメルポン菓子を味見して驚いてくれる表情が嬉しくて、 そのまま買ってくださるとさらに嬉しかったです。 毎月通ってくれるお客様もできて、本当に励みをいただいていました。
もちろん雨の日や真夏・真冬は厳しく、そもそもお客さんがゼロの日もありました。
売れない日も数知れずです。
そんな時は仲間の出展者さんが買ってくれたりして、心の支えになりました。
ネットショップだけだったら、きっと気が付かなかったことです。 マルシェで出会えた方々のおかげで成長できました。
たくさんの人に支えられていることを実感できました。
大げさではなく、「生きててよかった」と思える喜びがマルシェにはありました。
最後の出店の日は、これまでの苦労や生みの苦しみが吹き飛ぶくらいの感動があって、
そのあと、お米作りに専念する道を選びました。
この先へ

一年目、お米作りに無我夢中で、お菓子のことは頭にありませんでした。
余裕がなかったというより、自然農のことで頭がいっぱいでした。
三年目のお米づくりを始めるとき、
「できれば機械も導入して、もっと量を作ってみたい。できたら販売したい」そう思うようになってきました。
自給自足でのんびり自然農を…と思っていた時期もあったけれど、
いつしかまた“商品を作りたい気持ち”が戻ってきていました。
草取りをしながら
「お米を使って、これも作れるな」とニヤニヤしていたのは事実。
夢ある未来のイメージは、
暑い中でも農作業を楽しく過ごせました。
自然農の世界にどっぷり浸かっていくと、この素晴らしいお米をもっと生かせられないか?と考えるようになってきました。
すると次第に、これに使う材料を畑で作りたくなりました。
必要な食材を自分で作れるなんて、たまらなく嬉しい。
思い浮かべることが全部つながっていく感じがしました。
嬉野のお米から始まった私の第二の人生は、両親がつないでくれたお米の『稲穂の香り』 、そこから農に携わる第三の人生へと続いてきます。
田んぼでお米を作り、畑でも作物を作り、そして商品づくり。
この先も楽しみが続きます。
